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2007年02月25日

マケレレインタビュー「マケレレ役っていわれるのは光栄」

Doing a Makelele - so good they named it after him

 Independentによる、マケレレの珍しいロングインタビュー。記事によると、ピッチでマケレレとマッチアップするのと同じくらい、インタビューを取るのが難しかったらしいです(笑)

・バック4の前のホールディング・ロールが「マケレレ・ロール(マケレレ役)」と呼ばれていることについて

 私の名前をつけてくれるなんて、光栄のきわみですよ。自分の仕事がすべて報われた結果だという気がしますね。
 「マケレレ役」の仕事はすべて、マドリーにいた時に学んだのです。後ろの4人と、その前にいる1人、というのは私のことですが、この5人で守備に専念し、ほかの選手たちを前へ出すことに集中しました。彼らはリスクを犯し、私たちは敵の攻撃に対するケアをしました。

 どんなチームにいても、自分の役割は何かということを理解することは重要ですけれども、私の役割の1つはチーム内の攻守のバランスを正しく保つことです。ディディエがここへ行ったら私はそこへ行き、フランクがあそこへ行ったら私はそこへ行く。ミヒャエルについても同じです。つまり、ある選手が本来のポジションを離れたら、誰かがそこへ行ってカバーするわけです。
 私のポジションでプレイしようと思うなら、まずこの役割を楽しむことです。「クソッ、これじゃ俺はゴールが入れられねーじゃねーか!」と思ってはだめです。タックルをして味方にボールを渡すことを楽しむことです。ただただ楽しむ。
 それと、体格に恵まれていない選手がタックルを成功させるには、タイミングをはかることです。敵は背が高く、強いかもしれない。ですが、正しいタイミングでタックルをしかければ、ボールを奪えるでしょう。すべてはタイミングなのです。

022501.jpg マケレレはチェルシーのトレーニング場のあるロンドンの南サリー州コバムに住んでいる。パートナーはフランス人モデルNoémie Lenoirで、マークス&スペンサーの広告に出たことがある。
 2人の間には2歳半になる男の子のKelyanがいる。

 私は仕事をして、家に帰ります。トラブルは起こしたくありません。家族を愛し、友人を愛する普通の男なんです。
 クラブが求めるなら、テレビでインタビューに答えますが、あまり人前で話すのは好きじゃないですね。私の妻はモデルですが、自分の生活が新聞や本に載ることを望んではいません。

・初めてプレミアに移籍した時のこと。ペースが速くてびっくりしたらしい。

 目が覚めたばかりのような気がしました。キックオフ後20分というところで、ラニエリがタッチラインから叫んでたんです。「クロード、目を覚ませ!」ってね。

 ジョゼは、チェルシーでいろんなことを変えました。選手全員に、トロフィーを獲得するための正しい心構えを植えつけました。選手たちにいろいろな責任を持たせました。
 チェルシーにかかわる人間はすべて、私たちがトロフィーを獲得し、すべての試合に残らず勝つためにここにいるのだということを知っています。ジョゼは選手にプレッシャーも与えました。選手には正しいプレッシャーが必要なのです。

 チェルシーはいまや、欧州でもっとも大きなクラブの1つです。ですから、多大なプレッシャーをかけられ、批判の集中砲火を浴びせられるのは当たり前です。
 そういう時は、自分を信じなければだめです。ピッチで力を尽くすよう努める。そして試合に勝つ。そうすれば、人々は自分が言ってたことなんか忘れてしまうものです。
 前季もそうでした。みんな、「2年連続優勝なんておまえらには無理だ」と言っていたじゃないですか。

・父親のこと

 私の父はサッカーをするためにザイール(現コンゴ)から移民してきました。しかし、その頃にはもう26歳でちょっと年を取りすぎていました。ザイールのモブツ大統領は、ザイール代表選手を外国へ出したがらなかったからです。
 父の背番号は10で、トップ下を務めていました。しかし、当時は国内情勢が厳しかったので、サッカーをやめなくてはなりませんでした。それで、パリに住みました。
 父はいつもこう言っています。「サッカーは難しい。しかし、お前にはすごいチャンスがある。お前には何でもある、いい食事、いいトレーニング施設、いい医療」とね。彼のプレイしていた時代よりずいぶん楽になりましたね。

・マルセイユ時代

 監督ともめましてね。「ストライカーの後ろでプレイさせてやる」と言われて移籍したんですが、来てみたらライトバックでの起用だったんです。そのせいで98年のW杯には出られませんでした。
 当時のフランス代表の監督はエメ・ジャケでしたが、こう言われましたよ。「悪いな、クロード。でも君には中盤でプレイして欲しいんだ。RBとしては必要ないんだ」と。

・マドリー移籍後

022502.jpg
 レアル・マドリーに移籍した時も大変でした。フェルナンド・レドンドが全盛期でね、みんな彼がお気に入りだったんです。初めてベルナベウでプレイした時、ブーイングがすごかった。ボールを持っただけでブーイング。
 私は思いました。「俺は何をやってるんだ? レドンドのかわりをやっているだけか?」と。
 最初の3ヶ月間は、新聞でもテレビでも、いろんな人に「この選手は良くない」と書かれましたよ。2ヶ月で辞めたくなりました。そんな時、父が助けてくれました。「闘い続けろ」と言ってくれました。

・マドリーを去ることを決めた時

 みんな「行かないでくれ、残ってくれ」と言っていました。会長は、私が本当に出て行くとは思ってなかったみたいでしたね。そして、私にプレッシャーをかけてきました。
 私は、ほんの少しでいいから敬意を払ってくれればそれで良かったのにね。父は私に言いました。「クロード、お前はやめるべきだ。彼らはお前に何も敬意を持っていない。このままいたら、お前は殺されてしまう」
 マドリーを離れると決めた時、私は会長に「どんなにカネを積まれても、私は出て行きます」と言いました。

 チェルシーは本当に私を必要としてくれました。私のために、マドリーと闘ってくれたのです。ですから、私はチェルシーに非常に敬意を抱いています。
 私がここに来て以来、選手も変わりました。10人か12人くらい新しい選手が入りましたが、その変化にすばやく対応することはクラブにとって困難でした。普通、チームが大きく変わったら、落ち着くにはその後4,5年はかかるものなのです。

・最後に

 街で「あなた、本当にマケレレですか?」と言われるんですよ。もっと大きいと思われてるみたいですね。(身長は1メートル70らしい)
 だから私は答えるんです。「いえいえ、私はマケレレの息子ですよ」ってね。

 「プレイをやめる時は、チェルシーでやめます」だそうです。その日はたぶん、まだ来ないでしょうけど。

 ちなみに、インディペンデントがしつこーく書いてるんですけど、やっぱりマケレレの英語は相当下手らしいです。「知っている数少ない口語表現で答えた」とか、結構失礼なことが書いてあります(笑)
 チェルシーTVとかでちらっと聞く限りでは、確かに、下手そう……でもいいの、サッカー選手は足で語るんだからね。

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