2008.12.31
第7章 (4)外国人監督に気をつけろ
なんと、4月以来とまってました「The Italian Job」抄訳の続きです。すんません。
これまでの記事は、カテゴリの「The Italian Job抄訳」からどうぞ。
サッカーに関する限り、イングランドもイタリアも、外国人に対する猜疑心が存在する。ただ、興味深いことには、状況はここ何年かで少し変わってきたようだ。
昔イタリアのサッカーが創世記にあったころ、監督の多くが英国人だった。イタリアに住んでいた英国人が、イタリアのサッカーを創設したからである。次の段階は1960年代である。インテルの監督を務めたエレニオ・エレーラ(Helenio Herrera、1910-1997、アルゼンチン人)は、2回のヨーロッパカップ優勝を成し遂げた。エリベルト・エレラ(Heriberto Herrera、1926-1996、パラグアイ人)はユベントスで優勝した。80年代にはニルス・リードホルム、スベン・ゴラン・エリクソン、ヴヤディン・ボシュコフなども監督としてイタリアで活躍した。
ただ、イタリア人はそういった外国人監督たちを賞賛し、感謝して受け入れる一方で、常に「この国で本当に上手くやれるのか?」と疑いの眼を向けていた。実際、南米から来た4人の監督…セバスティアン・ラザロニ(フィオレンティーナ)、オスカル・タバレス(ACミラン)、カルロス・ビアンチ(ローマ)、セサール・ルイス・メノッティ(サンプドリア)は、目立った功績をもたらすことができないままイタリアを去って行った。
私たちイタリア人はこう考えた。自分たちのサッカーが非常に複雑なために、外国人監督たちの才能を干上がらせてしまったのではないか。だから、リードホルムやエリクソンのようにある程度長期に渡ってイタリアに住んだ経験のない監督には勤まらないのではないか、と。
イングランドではまた事情が少し違うようだ。
イングランドでは、どこか規模の大きなリーグで、それも直近に成功を収めていない限り、イタリアよりもさらに疑いの眼を向けられる。
「Arsene Who?」(アーセン・誰だって?)
――1996年にベンゲルがアーセナルの監督になった時の、ある新聞の有名な見出しである。
ベンゲルはモナコ時代にリーグ・アンでリーグとフランスカップで優勝し、カップウィナーズ・カップの決勝に進んだ。であるから、そんな人物を、どこの馬の骨とも分からぬ輩のように扱い、まるでフォレスト・ガンプがハイバリーにヨロヨロしながら登場したみたいに扱うのは妙なことではある。イタリアでは、こういうことは起こらなかっただろう。
ベンゲル自身もこう話す。
イングランドに来てすぐ、「君が成功できるはずがない」と言われたよ。それは、私が有名でないからではなく、私が外国人だからだといわれた。
新聞には、なぜ外国人監督がイングランドで成功できないのか、詳細に書きたてた記事が踊った。
こういう状態に直面して、私はみんなと対話を持とうと決心した。あらゆる人の意見をできるだけ聞こうと努めたのだ。彼らイングランド人がどんな考え方や感じ方をするのかを学びたかった。
それが成功したかどうかは分からないが、少なくともアーセナルというチームにおいては、お互いのことを知るきっかけが生まれた。これは私にとってとても役立った。
モウリーニョの来英は、また違ったものだった。
イングランドに来るまでに彼はポルトの監督としてCLで優勝し、マンUを破った。その前年には、同じ英国のチームであるセルティックを決勝で下してUEFAカップで優勝した。
それでも彼は、非常に大きな懐疑心を向けられたのである。
CLで優勝したのが5月26日で、ロンドンに着いたのはその2日後だった。
私は、無名の人として扱われた。それも、たくさんの「?」とともに。
「お前はここで新しいものを生み出せるのか?」「イングランドのサッカーになじめるのか?」「誰もやったことがないのに、なぜお前は来て1年目でリーグ優勝できるなんて思うのか?」「お前には十分なキャリアがあるのか?」「お前はトッププレイヤーとこれまで仕事をしたことがあるのか?」「お前はイングランドのサッカーがどれほど厳しいものかちゃんとわかっているのか?」「イングランドのサッカーはこうで、そしてああで…」などなど。
敬意を払ってもらえなかったと言いたくはないが、彼らにとって彼らの位置は(頭の上に手をかざして)ここで、外国から来た人々は(腰のところに手をやって)ここなのだ。
私のようなヨーロッパチャンピオンでさえ、自分がプレミアと同じレベルにあることを証明しなければならなかったのだ。
だから、ベンゲルがどんなに大変だったか私には想像がつく。彼はヨーロッパチャンピオンでもなければ、日本なんてところから来たのだから!
話は単純だ。私はもしCLで優勝していなければ、イングランドには来れなかっただろう。イングランド人たちは、自分たちの国が特別であり、サッカーも特別だと思っている。だから、優秀でなければついて来れないと思っているのだ。彼らは、自分たちの国のサッカーが非常に難しいと思い込んでおり、変化の余地もないと思っている。
彼らは、外国人嫌いというわけではない。まったくそうは思わない。が、外国人が自分たちのサッカーに適応できるかどうかについて懐疑的だということは言える。それは彼らが、自分たちのサッカーを純粋に「特別」で「ほかとは異なっている」と考えているからである。
(モウリーニョ)
ベンゲル、エリクソン、モウリーニョ、ベニーテスといった外国人監督が、英国に来て1から自分の力を証明しなければならなかったというのは興味深い点である。ここには、根深い社会文化的な理由があるのではないだろうか。
どういうことかというと、イングランドは、少なくとも対外的には「自信に満ちた」国家である。イタリアも、少なくともサッカーに関しては同じことが言える。
だが、それとは対照的なのがポルトガルである。この国は長いこと、自国に対する自信をもてないでいた。
そう。であるから、私たちポルトガル人は、ジョバンニ・トラパットーニ1のような人物が監督としてポルトガルにやってきた時、まさに狂喜乱舞した。
彼がベンフィカの監督に就任すると、ポルトガル人はみなこう思った。ポルトガルのサッカーに何をもたらしてくれるのだろう? イタリア人の目からは自分たちのサッカーはどう映るのだろう? 彼からはさぞかし、たくさん学ぶところがあるだろう…。
もちろん、成功しなかった人に対しては批判が向けられる。それは当然のことだ。
しかし、この国に来た外国人は、最初は誰でも両手を広げて歓迎される。グレアム・スーネスやボビー・ロブソンについても同じだった。彼らは非常に暖かく迎えられた。
裏口からこっそりと出て行かなければならないこともあるが、誰でも最初は誰でも歓迎されるのだ。
(モウリーニョ)
- 2004?05にベンフィカの監督を勤め、11年ぶりのリーグ優勝に導くが、「家族の近くにいたい」という理由で1年で辞任。シュトゥットガルトの監督になる [back]
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