« | »

2012.12.26

How we won the War その2(終)

Welcome Partyで、年齢層高めの英国人女性ファン2人がわざわざ来て言ってくれた言葉が気になっていた。
「big noiseを出すのよ!」
その時は「一生懸命応援しましょうね」という意味だろうくらいにしか理解していなかった。
しかし私達は、その真の意味を決勝戦で痛烈に理解することになる。


海外から日本を見たことのある人だと余計よく分かるのだが、日本人は、やっぱりおとなしい民族である。
良く言えば礼儀正しく、規則を大幅にはみ出すことはない。
悪く言えば、数を頼みにしなければ実力を発揮することができない。
農耕民族のDNAなのだから仕方ない部分はあるし、それを補って余りあるほどの美徳があるので私は特に悲観はしていない。むしろ誇りに思っている。
ただその弱点は、サッカーの応援という狭い範囲においては決定的な弱点になった。

決勝戦当日。テレビ(主に日テレ)が過剰といえるほど報道していたように、新横浜周辺からスタジアムまでの一体は「コリーンチャーン」という野太い声と大騒ぎする白黒の人間たちで埋め尽くされていた。
「コリンチャンスファンはみんな熱狂的ですね」とか「ブラジル人は陽気ですね」といった好意的な報道がされていたのだろうと思う(よく知らない)が、現地に行った者からすればそんな生やさしいものではなかった。
私は一応女性であるし、それほどちょっかいを出されたわけではない。それでも、堂々と青いユニを着ていたので、すれ違うたびにそこかしこの白黒から「F**k Chelsea」「Chelsea, NOOOO」といった罵声を浴びせられた。
気分が良いわけではないが、こんなのはイングランドのアウェーでもよくあることだ。たぶん英語ができないので、その程度しか言うことがないんだろうと鼻で笑いながら、胸を張ってやり過ごした。また、彼らの言葉も分からないので、何を言われても受け流すことができた。イングランドならこうはいかない。
しかし。スタジアムの正面にある通路が白黒に占拠されていたのには唖然とした。ここは応援する場所ではなく、メーンの通路である。明らかに通行の邪魔なのだ。どうして警備員は排除しないのかまったく理解に苦しんだ。
Jリーグでもそうだと思うが、アウェー戦に乗り込むときのアウェーサポというのは、分をわきまえることが求められる。数では絶対に勝てないし、またホームというのはホームサポにとっての聖地である。どんなに熱いアウェーサポでもその聖地を侵すことは許されない。それが「respect」である。私はそんなふうに薫陶を受けてきた。
だから、アウェーに乗り込んだサポは熱いパッションを秘めつつも、ホームサポにあからさまに喧嘩を仕掛けることはない。ひとところに集まり、尊厳を保ちながら応援する。数では勝てるはずないけど、針のむしろにある自分たちのチームを応援する。そのほうが大きな声を出せるし、セキュリティ上も有利である。
しかし、この日の横浜はあくまで「中立地」であったはずだ。かつ、私達日本人にとってはホームだったはずだ。にもかかわらず、そこは数の論理によりコリンチャンスのホームと化してしまっていた。
青い人々もそこかしこにはいるのだが、まとまってシーティングされていないので、声を出そうにも届かない。準決勝で煽ってくれていたオーストラリア人とおぼしきチェルシーファンたちも、なすすべがないようだった。
日本人は言うまでもない。
チェルシーファンはいなかったわけではない。分断されていたのだ。

私はチェルシーファン3人と座っていたが、半ば呆然としていたように思う。
試合の内容も、拮抗していて軽口を叩けるような余裕などなかったし、大騒ぎして通路を走り回ったり、青いユニを見つけては「Why Chelsea?」などとカタコトの英語で揶揄したりするような白黒たちには唖然とするばかりだった。
そう、あの現地サポのおばちゃんたちが言ってたじゃないか。
「彼らには全くリスペクトがない」、と。

試合の内容についてはもう省く。
確かに相手の守備は固かった。しかし、負けなくてはならないような試合ではなかった。
チャンスも幾度か作っていたし(決めてくれないひとがいたけど)、勝ってもまったく問題はなかった。
しかし私たちは負けた……試合には。

試合には負けたと書いた。でも、サッカーを愛する者として求められる美徳の点においては、間違いなく勝ったと思っている。
イングランドフットボールファンは常に、勝者となっても敗者となっても、美学を求められる。正々堂々と勝ち、正々堂々と負ける。その点で、この日の私たちは明らかに相手を凌駕していたという自信がある。
私たちは、声こそ届かなかったかもしれないが、懸命に応援していた。
試合が終わり、うなだれる選手たちに心から共感した。私が最初に思ったことは、「負けて悔しい」ではなく「こんな遠いところまできて、そんな悲しい顔しないで。いい試合だったよ。ありがとう」という感謝の気持ちだった。たぶん多くのひとが同じ気持ちだっただろう。
ランパードの悲しそうな顔には本当に胸を締め付けられた。せっかく来てくれたのに、日本に対して嫌な思い出を持たなければいいが…と思った。
でもよく考えれば、あのモスクワがあったからこそあのミュンヘンがあったのだし(アンチェもそう言っていたではないか)、この日の横浜があったからこそ生まれる勝利の瞬間もきっと訪れるだろう。
横浜が、日本がその礎になれれば、それでいい。
クラブは、1試合1試合の結果に左右れるような脆弱な存在ではない。悲喜こもごもの積み重ねの上に成り立っていく、もっと奥深いものなのだと思う。

この日のチェルシーとチェルシーファンに、私はいっそう誇りを持った。いっそう好きになった。だから、この日の話はこれでおしまい。

add to hatena hatena.comment (0) add to del.icio.us (0) add to livedoor.clip (0) add to Yahoo!Bookmark (0) Total: 0

Comment & Trackback

Comments and Trackback are closed.

No comments.