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2013.01.07

ふるさとは遠きにありて思うもの ~CWC雑感続き

さまざまな悲痛な思い出が残ったCWCだったが、もちろん喜ばしいことも多かった。
一番大きかったのは、ブログやツイッターではコメントを交わし合ったことはあってもこういった機会でなければ会うことのできない他府県のチェルサポと実際に会えたことだ。
書き込みの内容と実際の印象がまったく違う人もいたし、かなり一致している人もいた。
いつも言っているように私はとても人見知りで、多くの人が集まる場所では知っている人の後ろに隠れているタイプだが、今回は先方のほうから名乗り出てくださって握手してもらったりして、冷や汗ものだった。つい、他の人のハンドルを名乗ったりして照れ隠ししたこともある。
同じチェルシーを応援する人に悪い人はいない。本当にそう思った。
ただ、今回のことで「同じチェルシーを応援する人に悪い人はいない」が、「同じチェルシーが好きでも、考え方やアプローチの方法は人それぞれ」だということを強く感じたことも事実だ。

私は常に「みんな違って、(大抵の人は)いい」と考える方なので、これから書くことは、自分と違っている人について批判するわけでも貶めたいわけでもない。なので、誤解しないように読んでもらいたい。
単に私の意見を述べるだけで、また違った意見を持っている人に対してどうこう言うつもりはさらさらないことを強調しておく。

詳細はよく知らないが、ファンの中には選手たちの練習を見に行ったり、ホテルまでサインをもらいに行った人もいたようだ。
私はそれまでの行いが悪かったこともあって、会社を早退して平日の試合を見に行くだけで大顰蹙で、そんな余裕はまったくなかった。ただ、余裕があったとしてもそこまでやったかどうかはかなり疑問である。
私は、「あなたのファンである」ということを面と向かって公言するのが嫌なのだ。男女関係でも同じかもしれないが、「好きです」と自分で言ったと同時に自分の立場の方が弱くなる。極端なことを言えば、相手の奴隷になってしまうのが嫌なのだ。

私は、選手とファンとの関係は対等だと考えている。
もちろん、彼らは高給取りの大スターで、私(たち)は掃いて捨てるほどいるただの一般ピープルである。どっちのほうが希少価値が高いかといえば、もちろん前者だろう。
しかし、選手とファンは「クラブへの忠誠心」という絆で結ばれた対等な存在であるべきだ。選手はクラブとそのファンのため一生懸命プレイするし、ファンはクラブとその選手を一生懸命応援するし、可能であればチケットや公式グッズを買って資金面でも応援する。どちらが欠けてもクラブは成り立たない。その関係性は絆であり、目に見えない「契約」にすら映る。
しかし、個人的に接触してしまった時点でその関係は崩れてしまう。
たとえば私は個人的にランパードが大好きだが、彼に個人的に会って「あなたのファンです!」と言ってしまい何かを手渡した時点で、私は「スーパースターに群がるただのうるさいファン」に成り下がってしまうと思う。私はそれがとても恐ろしいのだ。手渡した何かが早晩ゴミになることを恐れるくらいなら、渡さないほうがましだと思うのだ。
もちろん、ランパードはファンのことを「自分に群がるうるさい奴ら」とは思っていないだろうが、客観的に考えて、部屋から出ただけで知らない人々におおぜい待ち構えられている状態を喜べる人間はそうはいないだろう。
スタァたちに好きになってもらう必要はないが、迷惑に思われたくもない。
私はすごく遠くで、一生懸命応援している。言うのもなんだが、それだけで自分を誇れる立派なファンである。だからそれでいい。関係性を崩したくない。成り下がりたくはなかったのだ。

偏狭な考え方だとは思うが、一度自分の考えを記しておくことには意味があると思った。
繰り返すが、ホテルまで行った人々のことを批判しているわけではない。上記のような考えを持つかどうかは人それぞれであり、「上記のように考えてしまう私」にはできないな、というだけのことである。

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